これまで、料理には興味はあったけれど、なぜか続かなかった。料理本を読みながら材料を探し、挑戦的に1ページ1ページ慎重に巡りながらたどり着いた場所は、時間をかけた割にはいまいち。。。って感じで。それならばとカレーや鍋物をどっちゃりつくりだめして、それを月〜金で食す、みたいな、まるで極端から極端へ傾くヤジロベー的な料理人生だった。
そこで頭の中で会議が始まった。
「来年は、旅に出たいので少しつづお金を貯めなければぁ、自炊すれば結構節約できるのだけど、あんまり料理がうまくないしなぁ。。ちょっとめんどくさいし。。勉強する時間がなくなるし。」と、あーでもない、こーでもないと。
出席者の一人があることに気づく。
「あれっ、俺たち、何を基準に料理がうまい、うまくないといっている?。料理することって、何千年の人間の歴史のど真ん中のど真ん中だろ。基本は絶対シンプルなはずだよ! 俺たちが食べるだけなら、ばっさり作ってばっさり食べればいいじゃないか!」
隣の席のMr.テツガク氏が質す。
「正しい『ばっさり料理』とは何ぞや」と。
10歳の少年がいたずら顔で質問を始め、37歳のおっさんはそれに真顔で答える。
- 問題1.毎日同じをモノを食べなさいと言われたら、何を選びますか? 「ご飯と味噌汁」である
- 問題2.調味料を3つだけ選んでください。 「醤油・塩・こしょう」である
- 問題3.調理方法を3つだけ選んでください。 「焼く・煮る・炒める」である
(時間にして1分もかからなかった。。。)
「ばっさり料理」
- 「ご飯と味噌汁」を中心に、それに1品料理を肉だろうが野菜だろうが「焼く・煮る・炒める」でとにかく調理し「醤油・塩・こしょう」でとにかく味付けて食べること。(わかります?3にこだわっていることに。好きなんですよ、3という数字の”安定感”が。)
毎週金曜日にあるファーマーズマーケーットで、名前も知らない野菜を買ってきて、とくかくばっさり料理する。料理ブックを読まないので、迷いがない。調理時間もだいたい15分くらい。(ご飯は、週末にまとめてつくり溜めして、1食分ごとサランラップで冷凍庫へ)
意外にも、けっこう美味しいのである、これが。他人に自信をもってつくってあげよう!という水準ではないかもしれないけれど、自分で食べるだけなら、ばっさりでバッチリなのである。気づいてみたら当然だよね。「焼く・煮る・炒める」「「醤油・塩、こしょう」って、料理のど真ん中もど真ん中だし、このコンビーネーションで、そもそも失敗する訳がない。必ず背伸びをしない等身大の味になる。
根本的なことを押さえると、楽しいし、結構応用が利く。実は、この「ばっさり料理」でもやったような問いかけは、仕事でもよくやる。自分の頭の中で空想の会議を開いて、3という数字を頼りに、あるテーマに切り込んで行く。そうすると、まず全体像が浮かび上がり、その"地図"を支えている大小の留意点が見えてくる。そこで特に影響力のある3つのポイントを見つけだすと、不思議なもので、個々の細かい現象や関係性まだも比較的楽に認識することができる。要の部分はかならず、シンプルで重量感があって、そして生き生きと”生きている。
え〜と、俺は何を書いていたんだっけ。。。 あっ、Sou Sou
ばっさり料理とは、例えるならば、おじいさんとおばあさんのやさしさに守られた孫の「てやんでぃっ」料理である。つまり「ご飯と味噌汁」は、縁側に2人でぽかぽか座っている波平さんとふねさんの笑顔。1品料理は、野菜or/andお肉を「焼く・煮る・炒める」x「「醤油・塩、こしょう」のコンビネーションで、えいやと勢いよくつくる、お庭で遊ぶタラちゃんの冒険。料理ブックを読みながらやっていた頃は、まるでサスペンス劇場であった。「これはあっているのか、食べられるのか、この調味料はいったいなぜいれるのか、入れないとどんな仕打ちがまっているのだろうか。この調味料はかなり高いが、果たしてまた使う機会がおとずれるのであろうか。」と。あたかも、誰かに監視されているような逃げの料理であった(あくまでも、個人的な意味ですよ。。)
おもしろいのは、何度も3X3=9のコンビネーションでばっさり料理を作っていると、どの食材とどの食材はどのコンビネーションならこういう感じの味がでると、料理・初心者の俺でも予想ができるようになってくる。そして、別の調味料・調理方法への関心が自然と芽生えてくる。「ばっさり料理」を木の根っこ/幹だとすると、それを土台に枝が両手をひろげで大空を目指すような健康的な野望の芽生えである。足し算のゆとりといえばいいのか。たとえ新しい挑戦に今日破れたとしても「俺には”ばっさり”があるんや!チカラをつけて必ずおのれを倒すんや」と。
あっ、あと1つ気づいたことがあったんだ!
それは、料理をつくっていると、お腹がすいてくるということに(ずっこけました?)。例えば自分は、朝起きて「はら減った、朝ご飯を食べなければ、もうだめだぁ」というタイプではない。でも、寝ぼけながら、とりあえずご飯と味噌汁を用意して、1品料理を行き当たり「ばっさり」料理していくと、次第にお腹がじわじわすきはじめ、目がじわじわと覚めてくる。そして朝ご飯がおいしい!「朝起きて出された料理をただ食べること」と「自分で料理したものを食べること」とは、そこに至までのプロセスが違うだけで、どちらも食べるという行為自体は変わらないのに、結果の”意味”が精神的にも肉体的にも変わったモノになっている。うーん、これは、次のステップへ向かうための指令(ヒント)が隠されている気がしませんか?
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