「順序」に興味がある。
例えば「食べる」という単純な行為も、1)箸でそれをとる 2)口に近づける 3)口をあける,4)食べ物を口の中にいれる、5)口を閉じ噛む、と5つのポイントを順序よく行うことで「食べる」行為が成立する。
当たり前といっちゃぁ当たり前なんですが、でもそれを”うっかり”まちがえて「3-5-1-2-4」の順序でやってしまうと、『口をあけ、口を閉じ噛んで、箸で食べ物をとり、口に近づけ、開いていない口に入れようとする』と、とんでもないことになってしまう。つまり、ひとつひとつの行動自体がすべて無駄になり、そして何も生み出さない。
これはシンプルな例なので、だれもが「そりゃそうだ」で終わるでしょうが、いがいにも普段の生活や仕事で「順序」に意識を置かず、ややもすれば、これまでの習慣で惰性的にこなしていることがけっこう多い。例えば月曜日の午前中に3つの仕事が目の前にあるとする。1つめは「プロジェクトのための計算(2時間分)」。2つめは「同僚に資料に関して頼みごと(30分)」。3つめは「プロジェクトのことで先方にメールで質問(30分)」。全部で3時間分の仕事量である。この3つの仕事を、たとえどの順序で取り組むとしても、仕事自体を”こなす”ことはできても、その仕事から”得られる結果”は違うものになる。
この例の場合、ベストの順序は、やはり、2と3を先に行い、その後で1の「計算」という流れである。つまり「お昼前には、同僚が必要な資料を用意し、先方から質問に対する返信メールをもらい、そして計算の仕事を終える」という最高のシナリオが実現する可能性を最も高くするためには、2と3を1よりも先に行い、3つの「仕事」が同時に進行する状態をつくりだせばいいのである。(この例ではですよ!)
ここでのポイントは、ひとつひとつの行動自体が変わる訳ではない、ということ。単に順序を入れ替えるだけの話。でもその「少し」が、得られる結果を大きする可能性をぐんと高めてくれる。
順序に意識をもってから、仕事のできる+ゆとりのある同僚を観察してみると、間違いなく、まるで「食べる」時と同じように、とてもシンプルな順序で仕事(または生活)を行っていることに気づいた。なるほど、である。
逆に仕事の「質」にぴりぴりと神経質になっている人は、とてもぎくしゃくとした「順番」を(無意識なのか意識的なのか)選び、やればやるほど仕事の量が増えている場合が多い、ということに気づいた。なるほど、である。
積み木で遊ぶように、一番シンプルな「順序」をさがすだけで、結果がかわり、そして”ゆとり”がうまれる。そう考えると、けっこう気が楽になりません?
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