この記事で、2011年を終わりたいと思います。うまく書ける自信はありませんが、自分にとって大切な節目の年になるので、できるだけ今の気持ちを正直に書いてみたいと思います。
私のお母さんは、私が10歳の頃、突然肺がんで亡くなりました。
いつもみんなのことばかり考えていて、授業参観の時には欠かさず来てくれて、「勉強しなさい」なんて一度も言わなくて、故郷の久米島でだけ子供のようにはしゃぐ姿を見せてくれて、運動会のおにぎりがおいしくて、僕がかけっこでビリから2番になってテントに戻って来ても”頑張ったね”と本気で褒めてくれて、車の運転が苦手で、「苦しい体験をした時にはさ、その気持ちを覚えておいて、同じように悩んでいる人を助けてあげなさいよ」と、転んで泣いている僕の頭を、泣きそうな顔でなでてくれて。
夏休みを目前にして、クラスのみんなが蝉のように騒いでいる中、小学校の教室に僕のおじさんが当然やってきて、担任の先生に頭をさげて、何もわからずランドセルに勉強道具を詰め込んで、おじさんの車に乗って、姉2人が通う中学校に寄って、気づいたらお母さんの病室の前にいて、ドアをあけたら、お父さんが泣いていて、みんな泣いていて、時間がかすんでいって、すべてが白黒にぼけて、お母さんの手は冷たくて。
亡くなる数ヶ月前、数日だけ仮退院で家に戻って来て、まだ病気なのに、家の掃除をして、洗濯物をほして、「これが、本当のお母さんだよ」と笑ってみせて、お母さんの気持ちや仮退院の意味もわからない自分は、突発的に小学校の校庭にいって、できない逆上がりの練習をして、夕方遅く帰ってきて、遠くから家の前で待っているお母さんがぽつりとみえて、腕を組みながらそわそわしていて、僕をみつけると、大きく手をふってくれて、「いなくなったかもしれないって、心配した?」と笑いながら聞いたら、何も言わずに抱きしめてくれて、それから数日後、お母さんは高熱をだして病院にもどって。いまでもあの時の自分がきらい。
あの日から28年近く過ぎました。そして今年の12月12日に、私は38歳の誕生日を迎えました。38という年齢は、小学校の頃からずっと心の片隅にあった数字。まるで呪文のように、その数字より前に自分は死なないといけない、お母さんより長く生きてはいけないと思っていた。だから、その日は友達の誘いも断って、一人で過ごした。特別な日に、自分がどう感じるのか、誰かがやってくるのか、現実の世界が壊れるのか、死ぬのか、何よりお母さんに会えるか、と期待しながら。
でも、何も起こらなかった。
普段のようにご飯を食べて、歩いて、少し肌寒くて、空気がおいしくて、アパートに戻るとハウスメートが映画を観ていて、パソコンを開いてメールをチェックして、シャワーをあびて、洗濯して、もう一度散歩して、夜空を見上げて、そしていつのまにか誕生日が過ぎていて。
もしかしたら、何かが起こっていたのかもしれない。それに気づけなかっただけなのかもしれない。歳を重ねるにごとに、何十にもからまった心の、どれが本当の心なのか、自分でもよく分かりません。
でも、はっきりしていることは、お母さんの歳を越えたということ、そして小学校の頃に自分にかけた数字の呪文は、ただの石ころになったということ。不思議に、いまから本当の人生が始まる気がします。「生きてていいんだよね」と、小学校の頃からずっとお母さんに問い続けた言葉は、「生きてみるよ」に変わりました。
あと2時間で、ここカリフォルニアも2012年も迎えます。
今年も、どうもありがとうございました。
そして来年もどうか宜しく御願い致します。
2011年12月31日
伊波
PS: これでいいんだよね、お母さん
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