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Jan 15, 2012

「クモの巣」男

アメリカで生活していると、突然見ず知らずのアメリカ人から日本に関することで質問をうけることがある。ほとんどの場合は、友好的にお互いの意見を交換でき、とてもためになる。でも、ごくたまに(1年に1〜2回くらい)明らかに上から目線で「日本の間違いを私が正してあげよう」と、質問しているようで質問していない質問をうける。

そのような時には、逆に相手に質問することにしている。理由は、相手は私の答えや意見を始めから聞くつもりなどないし、議論をしたいというよりは、「視野のせまい日本人に私たちアメリカ人が教えてあげよう」という態度だからだ。簡単に言えば「何でもいいからとにかくワシは何かに怒りたいんだぁ」という感じ。(どこの国にも、どの市町村にもいますよね)

このように「とにかく何かに怒りたい」方が張り巡らしたクモの巣にたまたまひょこっと引っかかってしまうと「なぜ日本は移民をまったく受け入れないんだ、けしからん」とか「在日米軍基地がいるおかげでアジアの平和が維持されているのに、なぜ沖縄の人々は基地に反対するんだ。けしかん」と迫り、そして「どう思うのだお前は、けしからん」と怒濤の「けしからん」攻撃を浴びせられる。質問とい名の地雷を足下にまかれたようなものだ。次に怒るトピックが私の口から出てくるのを藪の中で待っている。なんせ、とにかく何かに怒りたいのだから。

その時は「あなたならどうする?」と聞いてみる。

すると、ほとんどの場合「我がアメリカならこういう政策をとるのだぁ」とか、「世界の平和のためにアメリカが現在行っているように、。。」と、両手をひらひらさせながらまるで宣教師のような口調で説教してくる。こっちはそうやってひらひら話すのを、ひたすらひらひら聞く。そうすると結局「私に」話していないのがわかる。目が私をみていない。遠い昔の記憶を追いかけている。つまり誰でもいいんです。そしてどんなトピックでもいいんです。ただ自分は正しいだと再認識したいだけなのだから。

少しクモの巣が弛んできたなぁ、と感じできたら例え話いれてまた質問してみる。「アメリカの面積をカリフォルニアに縮め、まわりは海に囲まれているとする。鉱物資源はほとんどない。そこにアメリカの人口の半分が生活しているとする。カナダには13億人、そしてメキシコには10億の人がアメリカの10分の1程の生活水準は暮らしているとする。そしたら、あなたが今説明したこと(政策)をアメリカは実行することができますか?」と。

すると『んっ」という感じで、”はじめて”私を見る。そして”はじめて”真剣に考え始める。そして「それは無理だ。同じ政策を取ることは」とくる。私が「それが今の日本の現状なのだ」と付け加えると、「なんと!」と驚いた顔をみせる。「日本はそのような条件で、あれだけの発展を果たしたのか!」と褒めてくれたこともあった。

在沖米軍基地の例でいえば、「それでは、もしあなたのスクールのすぐ隣に日本軍の空軍基地があったら、どう感じるのか?」「日本の兵隊が軍服を着たまま、カリフォルニアにあるスターバックスにコーヒーを買いに来たらどう思うのか?」「日本軍のヘリがバークレー大学に落っこちて校舎をぶっ壊したら、どう思うか」などと質問してみる。中には「日本軍人をぶっ殺してやる」とものすごい剣幕で怒ってきた場合もある。その時に「それが今の沖縄の現状なんだ」と付け加えると、「んっ」となって、しばらく考え込み、「普通じゃないんだな、アメリカが他の国でやっていることは」と誤ってきたこともあった。

つまり、どのような質問であっても日本の状態をアメリカに置き換えてイメージしてもらい、こちらから逆に質問すると、たとえ『半径3メートルクモの巣」男でも、黙って考え始め、日本の現状を冷静に理解しようとする。(しない場合は、完全にクモに「変身」したということです)

しかし、この記事で私が本当に書きたいことはとにかく何かに怒りたい「クモの巣」男のことではありません。実は本当のテーマは、誰もが「クモの巣」男になる可能性があり、さらには自分の心が自分で張った「クモの巣」にがんじがらめになっていることにさえ気づけなくなることがある、ということです。つまり「クモの巣」男は、自分の心の中にもいる。できるだけそのような状態に落ち入らないためには、「クモの巣」男に質問したことを、自分自身に対し行い、別の視点から物事を観察し直すことが大切になってくる。

例えば、沖縄で長いこと生活していると、青い海が隣にあることと同じように、米軍基地の存在が日常の光景に溶け込んでいきます。しかし、その現状にちょっとだけ別の視点を入れてみる。主語をかえて考えてみる。「米軍基地ではなくてロシアの基地だと、自分はどう感じるだろうか」「エジプト軍の基地なら、どう思うだろう」「中国軍が軍服姿で沖縄のコンビニに入って来たらどう反応するのか」などと。

すると、自分がいままで普通だと思っていたことがガラガラと音を立てて崩れ、非日常の世界が日常の世界の中に涼しい顔で混在していることに気づく。そして悲しいことですが、自分の心の中にも特定の国に対する「偏見」があることが見えてくる。それを知るプロセスは結構こたえますが、でもそうでもしなければ半径3メートルの日常を当たり前のことだと思い上がり、自分がすべてを把握しているとうねぼれ、そしてその認識を他人にも押し付けようとするどうしようもない大人になってしまう。

「クモの巣」男にだけは、なりたくない。

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