以前は、いろいろな自己啓発本にあるように手帳などを利用してスケジュールを細かく管理して”効率”よく生きることを目標にしていた頃もありましたが、ある日「あれ、これが俺が目指している生き方だったっけ?」と疑問に思い、やめました。その代わり時間を管理しなくてもいいような生活習慣を自分なりに見つけていくために、2年程前からいろいろ試行錯誤を繰り返しています。その過程でわかったことの1つが「復習」を習慣づけることの大切さ。
復習を習慣づけると実体験に基づいた自分なりの課題がみえてる。小学校の頃から先生に予習と復習の重要性を教えられますが、しかし社会に出てからは予習よりも復習のほうが大切になってくると思う。それは学校の勉強とは違い、実際にその場に立って経験しなければ分からないことが社会には多いからです。例えば研究発表で実際に人の前に立ってみなければ得ることができない情報や感覚がある。それを経験した直後にしっかりと復習し、修正できることはその日で修正し、そして課題を明確にすると、普段の生活でも自然にその課題を克服するために必要な情報に気づきやすくなる。
復習を習慣づけると、感覚的(または偶然に)頼りなんとなく行動していたことを、意識的にコントロールできるようになる。例えば、昨年の暮れから作曲を始めていますが、鍵盤を叩いているうちに”偶然”いい感じの和音やメロディが出てくるときがある。そうやって感覚的に曲をつくることは確かにおもしろいのですが、そのまま感覚に頼っているといつまで経っても成長できない。「なぜその音は気持ちがいいのだろう」と常に疑問に思い、今日感覚的に成功したことを、復習し、その背後にある理論を知る。そして次からはそれを自分のコントロールできるレベルにおき、その精度を高め、その方法をいつでも意識的に引き出せるようにする。その上に、また新しい”偶然’を感覚的に舞い込む。その繰り返しが成長をするためには必要なことなのだと思う。要領のいい人が伸びにくいのは、復習する習慣がないことが原因の1つではないでしょうか。
また意識的にコントロールできる範囲が増えると、「自分がコントロールできない範囲」も自ずと見えてくる。それが分かれば助け合うことの大切さがわかる。そこに専門化(プロフェッショナル)への道がある。近代の技術の発展は、まさにそのプロセスによって生み出されてきた。
復習することで「未来の自分」を助けることができる。例えば、あなたがあるイベントを企画するとする。イベント終了後、2時間でも復習し、どこが良くてどこが改善の余地があるか、それぞれのポイントを明確にし、イベントの企画準備手順を1つのシステムとして構築しておけば、1年後に新たなイベントを立ち上げる時にも、すでにあるシステムを土台にさらによいものを生み出す時間的/精神的な余裕が生まれる。しかし、もし最初のイベントできちんと復習しておかなければ、また1からの繰り返してある。同じ間違いも繰り返すであろう。新しいものを生み出すゆとりなど持てるはずがない。最初と同じだけの時間が必要となる。しかし、復習したほうは、かなりの時間を短縮できる。視点を変えると過去の自分と現在の自分が共同で仕事をしているようなものである。
上の例からもわかるように、行動した直後に復習するということは、実は近い将来の「予習」をしていることと同じことになる。しかし「直後の復習」と「行動前の予習」は意味合いが大きく異なる。時間とともに私たちの記憶は感情に流されていくからだ。実体験をもとにした対策(直後の復習)と、あいまいな記憶を頼りにした対策(直前の予習)ではその中身は大きく異なるのは当然である。
最後に、復習に重点をおくと、自分の頭で考えるようになる。それは自分の体験に基づいたことなので、かなり具体的に課題を見つけることできるからだ。だから次の行動が楽しみになる。自分自身の課題はハッキリしているので、それを実験を通して解決するおもしろさを持つからだ。そして「行動しなければ復習できない」という当たり前のことに気づく。だから行動したくなる。課題をもって行動すれば必ず成長できる。
復習をすると、自分でコントロールできる範囲をしっかりと認識し、体験に基づいた自分なりの課題を、過去の自分と現在の自分が共同で克服し成長を楽しむことができる。自分がやりたいことの焦点がぶれないので、生活が自然にシンブルになっていく。
つまりシンプルな生活をするためには、「復習」を習慣づけることが一番の近道となる。
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