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Mar 5, 2012

イラヨイ月夜浜


たまにはテーマを決めずに頭に思い浮かぶことをずらずらと書いてみようと思う。最後にどのテーマでこの記事が終わるのか自分でも楽しみ。

久しぶりに,仕事帰りにバークレー駅近くにあるPeople's Cafeというコーヒーショップに寄っている。曲を編集するときに使っているお気に入りの場所。今日は、前から整理したかったことを、ぽつりぽつりとこなしている。

最近は日常的な事柄はすべてフェースブックに書いているので、「はっ」とした気づきの種はすべてそこで解消している。フェースブックとブログでは時間の進み方が違う。一度フェースブックのリズムに慣れてしまうと、ブログを開く時間さえ惜しい気がする。

自分が思い描く「幸せのかたち」が見えてきた。もちろん周りにいる友達の影響が大きい。彼らが思う「幸せのかたち」を自分にも体験させてくれるおかげで、自分の心が何を求めているのかわかってきた。

生活の中心は「食事と音楽」だと思う。みなで話しながら食事を作り、みなで食べ飲み、そして音楽がある暮らし。別にお金をかけるわけでもない。「食事と音楽」は貨幣が誕生する以前から存在していたわけだから、当然といえば当然か。三線に出会えてから人に出会えた。人に出会えてから話す喜びを思いだした。話す喜びの中には、食事がならぶ。食事は、新しい出会いを舞い込む。そこには必ず、新しい音楽がある。

海外で生活していると本当にいろいろな人に出会う。それと同じくらい多くの別れもある。それぞれに”帰る場所”があるからだ。気持ちの整理をする前に、出会いと別れが交差する。過去を振り返ることが難しい。1週間前のことが数ヶ月も前のことのように感じる。時間の区切りがあいまいになる。そんなあいまいな時間の中で出会いは”流れ続ける。” そんな流れのなかでも、きちんと向き合える出会いは、やはり”縁”なのだと思う。

最近、歩きながら思い出し笑いすることがよくある。知らない人が見たら「へんな人」に見えるかも知れないけれど、こみ上げてくるものだからしょうがない。どんな場所でも、人が笑ってくれるとうれしい。そして笑いで返してくれるとさらにうれしい。両方で笑いあうことで、あいまいな時間の流れがちょっとだけとまる。笑うことに年齢も国境も関係ない。厳格な規律でしか人と人の関係を維持できない場所で暮らしたくはない。そんな場所で”成功”したいなどと、まったく思わない。それよりも笑いの中で”成長”したい。

パスタや麺を小麦粉からつくることが好きになった。特に小麦粉をこねている時の感触が好き。なぜこんなにも好きなんだろうと思ったら、小学校低学年の時に毎日のようにやっていた粘土遊びをしていた時の感触だと気づいた。忘れかけていた感触を思い出せたことがうれしかった。たぶん同じように”忘れている”ことが多いのだろう。土に近い生活を続けていけば、きっと思い出すことができると思う。

”信じたい”と思えることが増えてきた。この感覚はあまり説明できない。昨日は三線の日。みんなでつくった沖縄そばを食べた後に、私の三線の先生であるウェスリー先生が「イラヨイ月夜浜」を唄ってくれた。その時も強く”信じたい”と思った。何に対して”信じたい”のか自分でもよく分からないけれど、とにかく”信じてみたい。”

結局、この記事は終わらない。たぶんあと数時間書き続けていられる。そろそろアパートに帰らないといけない。3メートル先でぼんやりとしている時間。
周りにいる他の客はまだ目の前のPCや本に没頭している。

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イラヨイマーヌ=愛おしいもの、大切な、の意味

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