左図:Natusme Soseki:Kusamakura より
冒頭の文章を読んで、その理由がわかった。
"If you work by reason, you grow rough-edged; if you choose to dip your oar into sentiment's stream, it will sweep you away. Demanding your own way only serves to constrain you. However you look at it, the human world is not an easy place to live. And when its difficulties intensify, you find yourself longing to leave that world and dwell in some easier one-and then, when you understand at last that difficulties will dog you wherever you may live, this is when poetry and art are born."
"智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。"(青空文庫より)
ここ何年間自分が”無意識’に考え続けて来ていたことを、ビシリと言い当てられた。初っぱなから”王手”である。このフレーズは昔から知ってはいたけれど、理解できたのは今回が初めて。
すべての現象は必然だと思う。こうして今、「草枕」に出会えたことも必然。先月末、シャリース・ペンペンコ:Charice Pempengco に「お前の魂、死んでいるぞ」と笑われて、今回は漱石さんに「そうなのである」と諭された。(関連記事:Charice Pempengco:シャリース・ペンペンコ)
それにしても”世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴(やつ)で埋(うずま)っている”とし、そのような奴を、”人のひる屁(へ)の勘定(かんじょう)をして、それが人世だと思ってる”と言い切る所に、潔さとユーモアを感じる。
それにしても”世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴(やつ)で埋(うずま)っている”とし、そのような奴を、”人のひる屁(へ)の勘定(かんじょう)をして、それが人世だと思ってる”と言い切る所に、潔さとユーモアを感じる。
昔、同じような気持ちを『「表現者」と「悲しい批評家」』という記事で表現してみたことがある。それを漱石さんは”屁の勘定”と一言で切る。”無駄な言葉はいらないのだ”と漱石さんに一蹴された。さらに自然や女性の裸体の表現描写も、まるで絵画の観ているようで、そしてやはり音楽的だと思う。坂本龍一の'Hibari"に全然負けていない。
これからも、漱石さんと対話を続けていきたい。
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