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Dec 1, 2010

優"遊"自適

この記事を書かないで2010年を越すわけにはいかない。
特に12月の最後の追い込みの前に、どうしても書いておきたかった。

『九鬼遊』

彼はカナダのブリテッィシュ・コロンビア大学の大学院生。

遊のブログと紹介文:『UBC Planning 留学記』 
2009年9月よりカナダのThe University of British Columbiaに留学中。生態学(ECOlogy)と経済学(ECOnomy)の交差点(Ecological Economics)に興味をもち、持続可能な社会作りに貢献することが目標。 東京生まれ、富山・サクラメント・横浜育ち、札幌・ポートランド・バンクーバーで学ぶ。でも本籍は京都。気が付けば知らぬ間に段々北上してる気がしますがここ5年くらいは概ね北緯45~49度近辺をうろうろしています。 良い仲間に囲まれている時と美味しい物を食べてる時が一番幸せです。 "Live Simply so others can simply live" - Ghandi

遊との出会いは、去年の5月頃、彼からメールを頂いたのがきっかけ。それから、エコロジカル・フットプリント分析関連でちょくちょく情報交換を続け、さらに縁があって今年の6月後半から2ヵ月弱、私が所属するグロバール・フットプリントにて研究員としてインターンシップ。

インターン期間中は、カナダのエコロジカル・フットプリントを地域間産業連関表を応用して分析するためのモデルの構築と、「エコロジカル・フットプリント・レポート・日本2009」プロジェクトに参加。特に同レポートの日本語訳は、遊が中心に行ったもの。

本当に楽しみな、そして日本にとってとても貴重な人材の一人。彼のブログをチェックしてみてくれたらわかるようにグローバルな行動を”普段着”のさりげなさでやってのける。(じつは、先日のChariceの記事の最後は、遊のことを特に意識して書いたもの。)

特にバランスがいい。正直に言うと私が目指している生活バランスにかなり近い。地元の友達によく「目指すは月曜日から金曜日まで、研究に没頭、金曜日の夜ライブ、土日仲間とキャンプ」「明日富士山に登りたいと思ったら、いつでも登れる心技体」なんていっていたけど、これは、まさに遊の生活と同じではないか!と、彼のインターン時の行動、そして彼のブログを観てうなった!うーん、先を越された(笑)。でも、年々近づいている感はあるので、3年後の私を見るように、遊のブログをチェックしてくださいね。

私は人を観察する場合(または自分自身の行動を客観的に観察する場合)に、「もしこの人が200年生き続けたら, その行動パターン・習慣で成長し続けることができるであろうか。」という視点で考えてみることがある。これは以前の気づき「場数が人を育てるのではなく、育つためには場数が必要」が土台になっていますが、中には残念ながら「社会への不満ばかり膨らんで、あまり今と変わらないのではないか?」と思われる人も多々います。自分もよく「この行動・経験を何百年続けても、成長しないなぁ」と反省することがばかり。そのものさしでみても、彼は間違いなく「成長し続ける」バランス感覚をもっている。

遊の”バランス感覚”が特に表れている記事はこちら(笑)
善と綱渡り

近いうち(もっと生活がシンプルになったら)、カメラを教えてもらうことになっているので、楽しみ。

仕事帰りに、私が「グローバルに動いても、沖縄の離島で暮らしても、同じ感覚でいれる人生がしたい」というと、遊が笑いながら「僕もそうですよ!」といってくれたことが無性にうれしかった。

同級生の84&ナオキ屋へ:
遊が沖縄に遊びに行く際は、読谷村の名物ラジオ番組「チャブロックマックの沖縄琉球学園」のゲストに呼んでくださいね。テーマとして「優遊自適」というのはどうかな?

さてさて、これで思い残すことなく”12月の追い込み”に戻れます!

以下、「人間学のすすめー安岡 正篤 福村出版 p165」より
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揚句(あげく)の果てがどういう結論に到達したかというと、
黄河の水が一番激した時に、どういう風に流れたかという水筋
を見て、その水筋の通りに治水工事をやった。

つまり水に抵抗しないということであった。そうすると水は
抵抗がないから、気の向くままに、ゆったりと、遊んで、  
自(おのず)からに適(ゆ)く。抵抗なしに好きなように適く
のですから、気持ちが好い。だから快適の適ということになる。

優遊自適とはここから出ておるのであります。

学問も結局は優遊自適でなければいけない。遊学というのは、
この頃の学生のように学校に籍をおいて遊ぶということではない。
学問の中に遊ぶということです。

大河の水がゆったりと流れているように、ゆったりと学問の中
に遊んで、自分で哲学し、信仰することです。

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